
江戸時代の幕末から明治にかけて実在した人物、「ジョン万次郎」。
彼が生まれた頃の日本は「鎖国(さこく)」という政策を敷き、外国との交流を禁止していました。日本人のほとんどは外国人を見たことも、外国の言葉を聞いたこともありませんでした。海の向こうには、鬼のように恐ろしい人々(南蛮(なんばん))が住んでいると考えられていたのです。
土佐の国(現在の高知県)の漁村に住む14歳の少年、万次郎は魚を獲るため仲間とともに海に出て、嵐にあってしまいます。陸地を見失って漂流すること8日。万次郎たちは無人島にたどり着きます。満足に食べることも水を飲むこともできない苦しい日々。そんな彼らのもとに現れたのはアメリカの捕鯨船(ほげいせん)「ジョン・ハウランド号」でした。
初めて見る外国人は、姿も、話す言葉も、着ているものもまるで日本人のものとは違っていました。けれど噂に聞いていた鬼のように恐ろしい人たちとは思えなかった万次郎は、勇気を出してジョン・ハウランド号に乗り込み、アメリカに渡ります。命の恩人であるホイットフィールド船長のふるさと、フェアヘブンの街で船長夫妻に実の子どものようにあたたかく迎えられました。
万次郎はアメリカの進んだ文明について学ぶ中で、日本とアメリカ、二つの国の架け橋になりたいという想いを強くしていきました。「鎖国(さこく)」を続ける日本に外国から戻ればどんな罰を受けるかわかりません。それでも万次郎の決意は変わりませんでした。
そんな万次郎にホイットフィールド船長は、国だけでなく「人の心」も開いてほしいと言います。国を開くことも大切なこと。けれどもっと大事なのは人々が世界に目を向けて大きく心を開くことだ、と。アメリカの人々に背中を押され、万次郎は8年間暮らしたアメリカを後にしました。
日本に帰ってきた万次郎を待ち受けていたのは厳しい取り調べでした。アメリカの様子を説明するものの、なかなかわかってもらえません。しかし万次郎は諦めることなく説明をつづけます。「そう簡単にわかり合えはしない。お互いわかったつもりになることが一番こわいのさ」。
1853年、アメリカから黒船が来航し、江戸幕府に開国を要求します。大混乱に陥る日本の人々。
はたして万次郎は船長との約束通り、人々の心を開くことができるのでしょうか・・・。